指導員ブログ

指導員の歴史⑫

2016/03/01(火) 21:27
今日は、しばらく放置していた「指導員の歴史」を書きます。

2004年に坂本派の全日本大会に軽量級で出場し、「今年こそ優勝出来る」といき込んで臨んだ試合でした。
4回勝てば優勝というトーナメントの一回戦は余力を残しての勝利だったと思います。
2回戦、得意にしていた「鎖骨打ち」を多用しましたが、まだまだ制度が悪く時々相手の顔に突きが入ることもありました。
しかし、この時は拳が鎖骨にしっかりと入った感触があり相手は倒れ込みました。
「技有り」と思いましたが審判は逆に反則の旗を揚げました。
「エッ?なぜ?」と思いましたが、審判が決めることは絶対です。
そのまま試合は続行され、もう判定勝ちは目に見えていましたが、頭がカーッとなり「倒してやる!」と焦ってしまい押しで「注意2」を取られてしまいました。
こうなってしまったら「技有り」か「一本」を取らない限り勝つことは出来ません。
直後、試合は終了し2回戦敗退となってしまいました。

まだまだ練習できることはあったのに、絶対優勝出来ると確信していたのに、のぼせ上がっていた自分がいました。
後で思えばこんなことでは勝てるわけがありません。

さすがにこの時はひどく落ち込みました。
そして空手を始めてから初めて「もう空手なんかやめてしまおう・・・」と本気で考えました。
しかしその3日後、「死ぬ気でやれば何でもできる」と思い立ち、極真空手の世界や全日本の歴代チャンピオンを育て、現在も色々なスポーツ選手をトレーニングしている「トレーニングセンター・サンプレイ」に行くことを決意しました。
このトレーニングジムには、当時同じ道場の後輩が通っていたこともあり2004年の12月、すぐに行動に移し入会の手続きをしました。
「トレーニングセンター・サンプレイ」を創設した現会長でもある宮畑豊会長には、金町道場披露会にも出席頂き、夏には海水浴場での演武や、300人も出席されるクリスマスパーティーでの演武に誘っていただいたり、今でも非常にお世話になっている方です。
このジムによって人生を変えられたと言っても過言ではありません。

この日から自信過剰であった「田中亨」の空手人生は大きく変わっていきます。

この続きはまたいつか・・・
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